2025シーズンのJリーグは、どのカテゴリにおいても最後の最後までし烈な昇降格争いが繰り広げられ、日本中のサッカーファンを大いに熱狂させた。J1リーグでは年間入場者数、平均入場者数ともに過去最多を記録し、いかにJリーグ史に残る盛り上がりを見せたかを物語っている。個人的にはJ2在籍26年目で初優勝そしてJ1初昇格を成し遂げた水戸ホーリーホックが特に印象深い。シーズン残り2試合の場面で長崎との首位攻防戦に敗れはしたものの、翌最終節で勝利し逆転優勝とJ1初昇格を果たした。最終節の結果によっては自動昇格圏内からも転がり落ちる勝ち点差の中で、重圧をはねのけ見事自力でJ1初昇格を掴み取った水戸の一貫性のある総合力は大きな賞賛に値すると感じた。そして今シーズンのJ2は残留争いも壮絶を極め、最終節でカターレ富山が89分からの2ゴールで得失点差による大大大逆転、奇跡の残留を果たした。もう一方で残留を争っていたロアッソ熊本は1-1の同点で自力残留を目前に他会場の結果で降格確定となった。引き分けでも残留と思っていた熊本の選手は試合終了のホイッスルと同時にガッツポーズをしていた…。まさに天国と地獄は紙一重だった。「何かが起こる」そう感じずにはいられなかった今シーズンのJリーグ最終節。どのクラブも徹夜上等で考え得るすべての準備を行い、当然ながら全てを賭けて臨んだことは想像に容易く、本気の者同士がぶつかり合うと何が起こるか分からないと。改めてサッカーの醍醐味を味わわせてくれたJリーグ2025シーズンだった。
一方で、関福大サッカー部にとっての2025シーズンは苦難の連続だった。トップチームは前シーズン関西1部リーグへの昇格を果たし、創部10周年目で1部リーグを驚かせると意気込んで臨んだものの結果は最下位での2部リーグ降格。そして私自身の主担当となったBチームもIリーグDivision.1/Bブロック最下位となり来季のDivision.2降格が決定した。チームは勿論のこと私自身もまるで出口の見えない暗闇のトンネルを手探りで進み続けているかのような苦しい1年だった。しかしこれほどまでにリアルなどん底の経験だからこそ見えたこと、改めて痛感したことがあったのもまた事実である。
~選手が発するサイン~
「指導者はメンバー外にならない」。その言葉を胸に一つひとつの決断を重ねてきた。チームの方向性を定め、トレーニングを重ね、選手を選び、そして選手を外してきた。しかしその先に残った結果は目指したものとは程遠く、逆にこれ以上ないチームの衰退を招いた。勝利を渇望する気持ちと逆行するように敗戦を重ねて徐々にバランスを崩したチームという船は、もはや舵すらきかない状態となりいとも簡単に奈落の底へと沈んでいった。まるで地獄のような日々だったが、今思えばそれでも選手たちは前を向き次なる希望の糸口を探し続けようと必死にもがいていた。しかし、何度も「次こそ」「次こそ…」と挑んでいるうちに、次第にその声は小さくなり、目指す指針が霞み始めた選手たちのベクトルはあちこちへ、溜まったフラストレーションは徐々にピッチ内外の行動に表れていった。全ての元凶は私自身のマネジメント不足に他ならなかった。勝利への「欲」に取りつかれ視野の狭くなった私は、いくつかの重要なターニングポイントで選手たちが発するサインを見逃した、いや、見ようとしなかったことで結果としてチーム全体が大きな代償を払うことになった。
~想い~
ここまで記したように確かに苦しいシーズンだった訳だが、ただの悲劇感だけが残ったわけではない。キャプテンの鈴木、副キャプテンの石徳は4年生がわずか4名そして約半数が1年生と若いBチームにおいてリーダーという重責をしっかりと背負い日々奮闘してくれた。彼らの諦めない姿勢があったからこそ最後までチームは走り切れたと感じる。行く先が見えず、孤独感にさいなまれた日々も数多くあったと思うが、それら全ての経験が彼らの未来につながると信じている。また、苦しいからこそ陰ながらサポートしてくれる方々の存在に救われた。スポンサーの方々、休日にも関わらず試合会場に応援に来て下さる大学関係者の方々の存在や励ましの一言にどれほど救われただろうか。そして、日々「当たり前」を徹底し、選手が安心してプレーできる環境を整えてくれたマネージャーの存在。彼女たちの献身があったからこそ選手やスタッフが安全に、そして全力でサッカーに没頭することができた。多くの人に支えられて、日々サッカーに打ち込める環境の尊さを改めて実感したシーズンだった。
このシーズンで得たもの、身に染みた教訓はリアルであり、決して忘れてはならない。例えば現代サッカーにおいてデータ活用や分析はもはや切っても切れないものになっている。しかしいくら相手チームを丸裸にしようが、肝心の自分自身が牙を抜かれ飼い慣らされたライオンのように生ぬるく戦いの矢面に立つ準備ができていないのなら話にならない。どんな時も最初に戦う相手は自分であり自分たち自身だということ。いくら相手を分析しようが、戦術ボードを片手に最新の戦術を口達者に演説できようが、それよりも重要なものが勝負の世界にはある。他責ではなく自責、常に自分と向き合って自分に打ち勝ってきたのか。苦しい時に逃げそうになる自分に打ち勝ってきた自負があるか。選手も指導者も同様。気まぐれではなく自らの意思で徹してやり込んできた人間は、選ぶ言葉や振る舞い、そしてプレーにやってきた「違い」が滲み出る。懊悩煩悶の日々の中で得た重要な学びや改めて痛感した教訓を胸に、私自身も日々成長を目指して邁進する。
― 再起 ― それは単なる回復ではなく、更に高みを目指すこと。新たな挑戦を伴う覚悟そのものだ。
酸いも甘いも経験したこの創部10周年目のシーズンを、必ず「再起の一年」にする。
次なる戦いは既に始まっている。
関西福祉大学サッカー部 コーチ
吉岡 聡



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