本日、蹴り納めならびに納会が行われました。

私たち4回生のために、マネージャーを中心に温かい時間を用意してくれた皆さん、本当にありがとうございました。引退から1〜2ヶ月が経ちましたが、久しぶりに見る懐かしい景色や空気に胸がいっぱいになりました。

2022年度に入学した私たちの代は、学年が上がるにつれ同期が少しずつ減っていき、引退試合の日に並ぶ同期の姿を見たときには、どこか寂しさを感じることもありました。他の学年と比べると良くも悪くも大人しく、プライベートで集まることも少なかったため、「仲が悪い学年」と言われることもありました。それでも私は、この代のマネージャーを務められて本当に良かったと思っています。皆それぞれが持つ静かな優しさが、私は心から大好きです。そんな同期と共に4年間走り続け、後輩たちに見送ってもらえたことを幸せに思います。

私が関西福祉大学サッカー部へ入部したきっかけは、「人見知りを克服したい」という、ほんの小さな気持ちでした。

中高6年間を女子校で過ごした私にとって、男性ばかりの環境は正直とても怖く、サッカーもテレビでワールドカップをなんとなく観ていた程度で、ルールもほとんど分からない状態でした。そんな私がビクビクしながら参加させていただいた体験の2週間は、今でも鮮明に覚えています。それでも、小さい頃から人のために動くことが好きだった私は、気づけば「楽しい」「もっとこの先を見てみたい」と感じていました。不安よりも、”支えたい”という気持ちが勝り、入部を決意しました。

4年間の大学生活を振り返ると、私の毎日はサッカー部と共にありました。気づけばいつも、グラウンドか部室にいて、土日も夏休みも、生活の中心は部活でした。サッカー部のマネージャーとして、選手を支える毎日。友人に「なんでそんなに頑張れるの?」と聞かれることもありましたが、当時は自分でも理由はよく分かりませんでした。ただ、汗だらけで全力でサッカーに向き合う選手たちが側にいて、その姿に胸を打たれ、自分も自然と動き出していました。勝って泣き、負けても泣く。そんな日々を仲間と共にしたからこそ、本気で向き合えたのだと思います。

しかし、決して順風満帆ではありませんでした。

マネージャーを始めて2年が経とうとしていた頃、マネージャーの人手不足により、業務の大半を数人、あるいは自分ひとりで回さなければならない時期がありました。終わりが見えない作業、練習後にも続く片付け、増え続ける責任。どれだけ頑張っても追いつかず、そんな時はどんな支えがあっても心が折れそうで、涙が勝手にこぼれる日もありました。帰り道、イヤホンから流れる音楽に紛れて泣いた夜も何度もありました。

それでも、「自分がやらなければ」という責任感と、選手たちの真剣な表情を思い出すたびに、もう一度前を向く力が湧いてきました。誰かを支えるということは、それだけ苦しさもついてくる。でも、その苦しかった時間の中から生まれる絆は尊く、何よりも強かったと実感しています。また、本当の意味での”支える”ということが分かった気がしました。

4年間で忘れられない出来事があります。

3年目の夏、ある選手の保護者様から、一通の手紙をいただきました。「マネージャーが大変な時に十分にお力添えできずごめんね」という言葉と共に、私のサポートのおかげでその選手が引退後も前向きにサッカーに打ち込めているという感謝の言葉が綴られていました。保護者の方からこれほど深いお言葉をいただくのは初めてで、言葉では表しきれないほどの喜びと感動で胸がいっぱいになりました。”誰かの人生に少しでも寄り添うことができたのかもしれない”と感じた、忘れられない瞬間でした。そのお手紙は私の原動力であり、今も大切に保管しています。

忘れられない試合も数えきれないほどありますが、特に心に残っている3試合を紹介させていただきます。

3年前・関西選手権 桃山戦

マネージャー1年目の初夏。試合経験はほとんどなく、右も左も分からないまま、ベンチ入りした試合でした。

後から、この試合が総理大臣杯出場を懸けた大切な一戦だったと知りました。

試合後、Aチーム・スタッフ・B/Cの仲間が一斉に歓喜する姿を見て、「何が起きているのか分からないけど嬉しい」そんな不思議な感覚のまま、一緒に喜んでいました。その後、1年生ながら総理大臣杯に帯同させていただいたことは、大きな誇りです。

2年前・学生リーグ 後期第1節

1部リーグという厳しい舞台で、前期は思うような結果が出ず、悔しい日々が続きました。

そんな中迎えた後期第1節。3-2で試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、身体中に鳥肌が立ちました。スタッフの皆様が抱き合い喜ぶ姿も今でも鮮明に覚えており、前期の悔しさがすべて報われたような、特別な勝利でした。

引退試合(今年度 1部リーグ最終節)

昇格後の1部リーグは厳しい戦いの連続で、選手たちの苦しむ姿に胸が痛む日々でした。選手からは「勝てなくてごめん」と私に声をかけてくれる人もいました。自分たちが1番悔しいはずなのに、そんな選手に対して何もできないもどかしさに悩んだのを覚えています。

それでも最終節は、負けてしまったものの“私たちらしい”ワクワクする試合展開で、最高の締めくくりだったと感じています。

「いつも明るく笑顔なマネージャーに救われた」という西さんの言葉は、小さくてもチームの力になれたと実感できた、大切な言葉です。

こうした試合や日々の練習を重ねる中で、そして2年間、主務という大切な役割を任せていただいた経験を通して、得られたスキルも数えきれないほどあります。試合や遠征に向けた準備、関係各所との連絡調整、トラブルが起きた際の対応など、表には見えない部分でチーム全体を支える責任の重さを、主務として初めて実感しました。先を見据えて臨機応変に行動する対応力、リスク管理、そして苦手だったコミュニケーション力。さらに、上回生となってからは後輩へのマネジメントにも悩み続け、試行錯誤しながら学んだことが多くありました。

課題はまだまだありますが、これらはすべてマネージャーとして、そして主務として過ごした4年間があったからこそ得られたものだと感じています。

私は、思い描いていた理想のマネージャー像には、最後まで届かなかったと感じています。入部時から今でも気にかけてくださる憧れの先輩マネージャーがいて、その背中を追い続けていましたが、後輩に対して自分が同じように”手本の存在”になれていたかというと、胸を張って言える自信がありません。後輩のためになにが残せたのか…それだけが唯一の後悔です。しかし、そんな私でも、「ことりさん!」と笑顔で支えてくれた後輩マネージャーたちは、同期マネージャーがいなかった私にとって本当に大きな存在でした。

中でも、1つ下のくれあちゃんの存在は特別です。学年は違っていても、いい意味でその差を感じず、友人のようであり、時には互いに刺激を与えるライバルのようでもありました。苦しい時に共に踏ん張ってくれて、乗り越えたからこそ築くことができた関係で、大切な存在です。一緒に泣いて、一緒に笑って、誰よりも近くで頑張る姿を見てきたからこそ、「ありがとう」と伝えたいです。

今は多くのマネージャーがいて、学年を越えて協力し合える環境があります。だからこそ、互いに支え合い、刺激を与えながら、より素敵なチームになってほしいと願っています。

サッカー部を引退し、社会人として歩むこれからの人生において、この4年間の経験は必ず私の力になります。サッカー部で学んだ「支え合うこと」や「寄り添うこと」「信じること」は、どんな職場や組織においても必要な大切な力だと思っています。困難な状況に直面した時は、あの時の涙や悔しさを思い出し、前を向く強さに変えていきます。挑戦することを恐れず、また誰かの背中をそっと支えられる人でありたい。そんな想いを胸に、社会での新たな役割にも全力で向き合っていきたいです。

最後になりますが、この4年間で得た経験と、そこで出会ったすべての方々への感謝の気持ちは、私の一生の宝物です。選手、スタッフ、マネージャー、保護者の方々、関係者の方々。そして赤穂から離れた場所で何も言わず私の活動を見守ってくれた家族。皆様のおかげで、私の進んできた道は確かなものとなりました。共に泣き、笑い、戦ってくださり、本当にありがとうございました。

これからも関西福祉大学サッカー部が、沢山の笑顔と涙にあふれる場所でありますように。後輩たちの活躍を心よりお祈りし、このブログを締めさせていただきます。

今後とも関西福祉大学サッカー部をよろしくお願いいたします。

4回生 主務・マネージャー 山本琴梨

【追記】OBの皆様を含め、関西福祉大学サッカー部の選手の皆さんへ

4年間、皆さんのマネージャーをさせてくれて、チームの一員にしてくれて、本当にありがとうございました。皆さんは、私にとっていつまでも”ヒーロー”です!!