昨年12月2日、本学サッカー部は大阪学院大学との入替戦を制して、創部当初からの目標であった「1部昇格」を成し遂げることができた。この結果は紛れもなく、いつもサポートして下さっている本学関係者の皆様、選手の保護者の皆様、地域の皆様、監督をはじめとするスタッフ、マネージャー、そして一緒に闘ってきた部員のみんながいたからこそ成し遂げられたことだ。
「4年間もキャプテンして、絶対大変やったやろ!」
引退した今だからこそ、周囲の人たちによく言われるセリフだ。
私たちの学年は関西福祉大学サッカー部の1期生として入部し、有難いことに私は創部当初から4年間、主将という立場を務めさせてもらうことができた。もちろん、当初は1期生ということで部としての歴史は0、先輩はいない、大きな石がいくつもある土のグラウンドという環境の中でのスタートだったので、当然苦労することの方が多かった。しかし、自分たちで部のルールを作り、歴史を作っていくことに大きな魅力を感じていた。私自身、約10年のサッカー人生の中で「主将」という役職に就いたことがなかったため、1年目はリーダーとしての資質があるかと問われれば自信を持って「ある」とは言えなかった。そんな中でもみんなは自分のことを支えてくれ、頼りにしてくれ、自分自身をすごく成長させてくれた。特に1期生のみんなは、良く言えば個性がとても強い学年、悪く言えばとても子供っぽい学年だったため、1年目は本当に悩むことが多かった。意見の違いでぶつかることに怖さを感じ、1番嫌われることを躊躇ってはいけない立場であるのに、問題が起こるたびに見て見ぬ振りをしてしまう、という自分自身が本当に嫌いだった。嫌われることが怖いと感じている自分に対して本当に腹が立った。しかし、月日を重ねるごとに仲間と正面から話し合い、同じ方向を向いて行動することの大切さを身を持って感じ、その結果自分の行動も変わった。仲間のおかげで「本気」で向き合うことの大切さに気付けた。そうして自分を変えてくれた仲間のみんなが本当に大好きだし、この場所で出逢えたことに本当に感謝している。
大学サッカーは、アマチュア年代の中で最も難しいジャンルだと強く感じる。
高校年代のように朝から夜まで練習する訳ではなく、いろいろな束縛がある中でプレーする訳でもない。また、プロのようにしっかりとした共通目的があり、全選手が同じ方向を向いて練習に取り組むことも難しい。この2つの狭間に大学サッカーは存在している。なので、当然強制されているように練習に取り組む選手や目標がないままただ漠然とグラウンドに出てくる選手もいる。ここに大学サッカーの難しさがあり、いかに全選手が上手く同じ方向を向いて、共通の目的に向かって取り組めるかが最も重要なポイントだ。
私はこの4年間を通して、この難しさを痛感してきた。みんなそれぞれ個性がある中で、1人1人にどういうアプローチをして共通目的を持たせられるか、それによってチームとしてどのような結果が生まれるか…これが4年間のテーマであった。
結果論ではあるが、最終的にチームとしては1部昇格を達成することができ、やってきた事は間違いではなかったかもしれない。しかし、チームとしてまだまだ改善の余地はあるし、本学サッカー部はさらに上を目指せるチームであると確信している。だから、後輩のみんなにはどうすればさらにチームとして良くなれるか、どうすればみんなが同じ方向を向いて取り組んでいけるか、ということを選手間で話し合い、もっと改善していってほしい。
最上級生として見本のような存在になっていたとは思わないが、それでもどんな時でも自分たちの学年に付いてきてくれた後輩たちには心から感謝したい。後輩たちの支えなくしてはこの結果は成し遂げられなかったし、1期生同様に後輩たちのことも誇りに思う。
話は変わるが、私は恐らく1期生の中で最も卒業後の進路について知られていない。誰から聞かれても濁すように答えていたし、明確に伝えたことはなかった。なので、完全に私ごとになってしまうが、この場を借りて自身の進路について少し述べたい。
私は、この5月にオーストラリアにトライアウトを受けに行く。自分自身、今までのサッカー人生は不完全燃焼である。大学サッカーに関して言えば、もちろん実力不足ではあるが4年間の半分は怪我で離脱してしまい、ピッチ上で満足にチームの勝利に貢献することはできなかった。主将であるのに試合に出ていない、勝利に貢献できていないという劣等感がいつもつきまとった。主将という立場の人間は、個人的には絶対に試合に出ていないといけないという固定概念があったため、それが余計に自分を苦しめていた。そして、時間だけが経過して最後の公式戦が終わり、その流れで自然に「引退」となると、どうしても諦めがつかなかった。なので最後に大きなチャレンジをしたいと思い、このような決断に至った。なぜ海外でチャレンジするのかというと、将来的にはサッカーを引退した後ももっとグローバルに仕事をしていきたいと決めたからだ。正直、この進路を選んだことに関しては迷いはなかった。他者から見れば、自分が選んだ選択肢は相当なリスクを背負っているし、安定とは程遠い。実際に私は就職活動を一切してこなかった。今となっては、今後の人生経験値のためにも就職活動をしておけばよかったとも感じるが、それでも自分の選択に後悔はない。名のある企業に入社し、安定した収入を得ることももちろん大切ではあるが、それだけが全てではないと感じる。自分の人生だからこそ責任は常に自分にあるし、その中でいかに自分が後悔しない選択ができるかということを、これから就職活動を始める後輩たちには大切にしていってほしい。存在する人の数だけ選択肢は存在するので、「みんながしているからこうする」といった進め方だけはしないでほしい。
こういった自分の選択が少しでも後輩のみんなにとって参考になればすごく嬉しい。(すごい上からでごめんなさい。笑)
卒業を目の前にして、今やっと寂しさを実感している。
全国各地から集まった仲間と何もないところからスタートして、苦労しながら文句を言い合いながら、そして喜び合いながら一つずつ築き上げてきた毎日がもうないと思うと、本当に寂しい。自分にとって当たり前のようにあった4年間という年月は、間違いなくこれからの長い人生の中で糧となっていくし、大切な思い出となっていく。ここで出逢えた仲間たちと、監督をはじめとするスタッフの方々はこれからも自分の財産だ。
最後になりましたが、自分に関わってくれた全ての人に感謝し、これから更に上を目指していきます。
本当に4年間ありがとうございました。
主将 日高 憧也